久しぶりの投稿です。ここのところ気持ちだけがせいているような日々が続いていました。というのも、もうすぐ日本に行くのです。今回の日本に行く最大の目的は、UNKNOWN ASIAというアートフェアに参加するためです(詳しくはこちら。)
楽しみの半面どきどきもあります。そして、UNKNOWN ASIAのウェブサイトに上がっている他の出展アーティストの人たちの作品を見て、ぎょぎょぎょーー!!となる日々。私は与えられた空間でどんなことができるのか、と考え出すとぐるぐるしてきて、とにかく作らねば!!という気持ちばかりが先行します。偏り方と偏った時の視野の狭さが年々狭くなっているような気すらするくらいに、そのことばかりを考える日々。
その傍ら、いや、そのど真ん中でものすごくわくわくするプロジェクトをしていました。まだ今年がだいぶ残っているのですが、2019年度のカレンダーを作る、というプロジェクトです。
活版印刷の師匠のところに久しぶりに足を運ぶと、他の人に頼まれてカレンダーを刷ったところだと刷り上がったものを見せてくれました。カラー薄紙に黒いインクで刷られたカレンダーは薄い紙とは裏腹に強烈な存在感で見た瞬間にうっとりとした気分になりました。その様子を見て、
「お前もカレンダー作るか?」
とマエストロが声をかけてくれました。反射的に
「したいです!!」
と答えたことからこのプロジェクトが始まりました。どうせ作るのなら、メヒコも日本も詰め込んだものがいいなぁとなり、日本っぽいというところに日本の活字を使えたらめちゃくちゃいいよなぁ、というアイディアが浮かびました。
マエストロは、ヨーロッパやアメリカでかつて作られていた活字をたくさんしょゆしています。しかし、日本やアジアの活字は見たことがないと日ごろから話していました。「自分がもう少し若ければ日本に行って漢字を覚えて活字を組むのになぁ」、という話も冗談交じりですがよくしていたので、それが実現するとこれは面白いと思ったのです。
私は、以前鼻息荒く活版印刷の話を聞かせにもらいに行ってメヒコに住んでいると話したことがきっかけで、活版印刷研究所というウェブサイトにコラムを寄稿しているのですが、その後担当の方が私が唯一知っている日本の活版印刷にかかわる方なので連絡を取ってみました。そして、厚かましくも曜日の活字を貸していただきたいと連絡したのです。
すると、「おもしろいですね」と二つ返事で快諾していただきなんと日本語の活字を借りることができるようになったのです。しかも、友だちがちょうどオアハカに遊びに来てくれることになっていて彼女に持ってきてもらうこともできるという素晴らしいタイミングにも恵まれました。
マエストロに、日本語の活字が課してもらえることになったと告げると「ほんまにか!!」と喜んでくれて、「9月に日本に行くんですよね」と伝えると、
「お前、それは、その時に間に合わせてカレンダーを作らなあかん。そして、貸してくれた京都のセニョールに出来上がったものをもっていかなあかん」
と言われました。そして、予定していたよりもかなり速いスピードでカレンダーづくりを開始することになったのです。
私はものを作るのが好きですが、鑑賞用というよりもどちらかというと実際に自分で使いたいから作ることのほうが多いです。だから、人にも使ってもらえたほうが断然にうれしいです。
どんなカレンダーを作るか、という話し合いをしたときに、
- カレンダー部分は3か月ずつ変わる
- 絵は通年
というフォーマットに決まりました。最初は、私たちも薄紙にカレンダー部分を印刷するということで話を進めていたのですが、そうすると絵の下にカレンダーを張り付けることになり、月を変えるときにはその紙をちぎらないといけないことになってしまいます。でも今日日活版印刷で、しかも薄紙に刷られたファンシーなカレンダーを躊躇なくちぎれるだろうか、と考えてしまいました。もし私ならちぎりたくないと思います。そういう作品として飾ってしまうだけになってしまいそうな気がします。
マエストロは、ちぎりたくない人はクリップか何かで止めて次の月を見るようにするだろうといいましたが、4月以降はクリップでくるくると丸められた部分を残しながらになるのか、と思うと、それはなんかかっこ悪い気がして、それではいやだと思いました。カレンダーは日付を知るためのもので、予定を書き込んでもらえてなおうれしい、と私は思っているのでやっぱり、ファンシーさだけが先行してしまってはダメだと思いました。やはり、機能性を重視したい気持ちのほうが強く、かといって、せっかく素晴らしい技術を使って作るのだから、1年後使い終わった後も取っておきたくなるようなものにしたいと思いました。
ということで、最終的に落ち着いたのがカレンダー部分は上に持ってきて、リングで止めて月をめくれるということになりました。
友だちがオアハカに到着する前に、版画の部分を私が作らせてもらうことになりました。版画は活字の高さと合わせるために木に張り付けて、それに合わせて文字を組みます。
木の活字も使ってみたかったので気のものを選び、そしてアドルノ(飾り)も古いものをたくさん持っているものの中から選ばせてもらいました。
友だちが日本に帰った時に、マエストロに日本語の活字を持っていきました。すると、子供のように目を輝かせて、おおお!これが日本語の!!と活字に見入っていました。
そして、その活字を使って文字を組んでもらいました。
スペイン語にまぎれて光り輝く漢字の活字!……震えました!!日本語の活字は、独自の高さを採用しているらしく、アルファベットのポイント数と若干のずれがあります。印刷するときには、この枠の中に組んだ文字がぎちぎちになっていないといけません。ずれ落ちることがあっては印刷することができないからです。
何度も入念に活字が落ちないように微調整は続きます。印刷してみて、きちんと印刷できていないところは、高さが足りないので紙をはって調整します。マエストロの持っている活字はかなり古いものもあり、何度も使っているうちにすり減っているので、活字が摩耗しているのだそうです。
さぁ、ここからは印刷です。
この出来上がった素材をもって、去年のカレンダーの清本でもお世話になった文房具屋さんへ行って、リングを付けてもらいました。
最終的に出来上がったのがこちらです。
デジタル印刷が主流になって久しく、スマホやタブレットの普及によってデジタルで読み物をすることのほうが多いです。このブログだってデジタルです。手軽に情報を発信することができるデジタルはもはやなくてはならいものです。
このプロジェクトを通して、印刷するのに(厳密にいうと印刷をする準備をするのに)ものすごく時間がかかることを目の当たりにしました。印刷し始めるとリズミカルで、そして早いです。圧をかけられて印刷された印刷物は凹凸があって、手で感じることができて、インクのにおいもして鼻でも感じることができます。印刷物ってこんなにも存在感があるものなのか、とはっとさせられます。
印刷をする準備にものすごく時間をかけるのに、印刷が終わるともうその時間をかけて準備した活字たちはまたばらばらにします。もう役目が終わったからです。いちいち感傷的になっている場合ではないのですが、そのかけられた微調整の時間を思うとなんとも切ない気持ちになります。しかし、刷り上がったものにしっかりとその命が吹き込まれているのが感じられて、大事にされろよ、と声をかけたい気持ちになります。
印刷は、印刷する人の気持ちが反映されるとマエストロは言います。でも活字を組むという作業は根気のいる作業です。イライラもするときもあるかもしれません。マエストロはよく歌いながら作業をしています。古いメヒコの歌たちです。あるいは、詩を声に出して読みながら作業をするときもあります。そうやって、作品にいいエネルギーを注いでいるのかもしれません。
このカレンダーができるまでに費やされた時間と、技術と、アイディアと、そして込められた気持ちなどを考えると、活版印刷とはなんという仕事なのでしょう。これがかつて印刷の大発明で、そして時代を支え、やがてもっと便利になるようにと技術が進化してパソコンの時代がやってきて、インターネットが普及して今です。このプロジェクトを通して、機械の技術と人間の技を最大限に融合させた、つまり、実用性を最大に追求しつつも、そこに人の手が加わって芸術性が加えられたものがめちゃくちゃ好きなんだなぁ、と気が付きました。
最終的に人間的というところが最高に好き。一瞬で完成させる魔法はないけど、作る工程中に魔術をかけることはできるのかもしれません。その魔術をかけるためには心意気とか技術力なので、まっすぐな気持ちを持ち続けたり技を磨いていかなければなりません。
「時間」は戻りません。前にしか進みません。でも、ものに時間を込めることはできるかもしれない。ということを学ばせてもらったと、出来上がったカレンダーを見ながらしみじみと感じているところですが、日本に気に間に合わせてくれたマエストロに本当に感謝しています。
あああ、また夜中になってしまった。でも、日本に着いたらバタバタしてしまうと思うので、その前にどうしても使っておきたかった時間です。
それでは、UNKNOWN ASIAでお会いしましょう!!(来てね~!)