ドミニカ教会をめぐった話。その①

久しぶりのブログ。なんだか日々がびゅんびゅんと過ぎて行って、全然自分の感じたことと向き合えないままここまで来てしまった気がするので、この教会巡りの話はどうしても記録しておきたい。

オアハカからの道。CDMXに行くときにも通っているはずだけど、いつもバスなので爆睡していてこんなに次々に景色が変わるとは知らなかった。

先週末と先々週末に友だちと「La Ruta Dominica」というドミニコ会の教会を巡るツアーをすることになった。普段私は教会に特段注目したことがなく、というよりも、無宗教であるものゆえに、熱心にお祈りをしている人が多い教会を観光地のように見るのに何となく気が引けていたという感じかもしれない。

その友達というのは、去年一緒にジャパンツアーを計画実行したりゅうたろうくんで、彼はメヒコの教会がかなり好きらしく、いろいろなところを訪れている。好きというだけあってかなり詳しくて、いろいろ教えてもらいながら見ると、今まであんまりちゃんと見てこなかったことを後悔するくらいにおもしろい。

メンバーも、1週目はイバンとエディスと我々二人、2週目はさらにみりちゃんを加えて、まるで1年前兵庫や高知を車でうろうろした時のような感じでめちゃくちゃ楽しかった。

1週目は、コイクストラワカとヤンウイトランという村の教会を訪れることに。その前に立ち寄ったノチストランで見た燃えた後のバスの骨組み。

ノチストランは2016年に教職員組合と警察と衝突して多数死傷者が出たというのが記憶に新しい。教職員団体と政府がもめているのはオアハカの抱える大きくて根が深い問題の一つだけれど、銃を所持していなかったデモ隊に警察が発砲したということから衝突がかなり激化したので当時はノチストランの名前をよく聞いたものだ。

ただ、一度も訪れたことがなく、メヒコからバスでオアハカに向かうときにたまに経由するために通過したことがあるくらいだった。イバンたちによると、バスは道をふさぐようにあったらしいけど、事件を風化させないように今は道路沿いに置かれているのだという。

なんというか、「衝撃」の一言だった。めちゃくちゃ強烈なイメージが目に飛び込んできて、なんという感想を持っていいのかわからなくなるくらいだった。

とにかく、衝撃だけが飛び込んできて、うまく消化できずに残るという感じ。そのあと、バルバコアというヤギ肉を使ったスープで腹ごしらえをして、コイストラワカへ。

キリスト教にはいろいろな宗派があって、ドミニカ会というのはカトリックの一派だそう。現在のメヒコはカトリック教徒の多い国として知られているけど、もちろん、それはスペイン人が侵略した時に持ってきた名残である。それが現地の土着の文化と交じって次第に広まっていったのだ。ドミニカ会というのは、教会を建てて布教するというスタイルだったようで、このLa ruta Dominicaは、ドミニカ会のルートということで、オアハカの中のドミニカ教会が見られる。

コイストラワカは、小さな村でそのサイズに似つかわしくない巨大な教会が建っていた。ずーんとそびえる前に立ち、建物を見上げるとディテールがめちゃくちゃ細かくて、うおおおおお、と震えた。

装飾を施された石が積みあがって壁となり、なんだか活版印刷の装飾活字を見ているような気持ちになった。

中に入ると、天井の高さにも驚くのだけれど、大きなレタブロとよばれる大きな祭壇が正面や左右の壁にたくさんあってそれはもう圧巻のみごたえ。

今も教会としてミサなどで使われているそうなのだが、私たちが行った時は他に誰もいなくてじろじろ見放題。ということで、いろんなところに注意してみると、本当細部までいろいろな装飾が施されていてめちゃくちゃおもしろい!!

なんというか、私の場合、生活とか暮らしのほうを先に始めてしまったのでいつも知識が追い付かないような感じがする。メヒコのことを知ったり勉強したりする前に、やってきて住み始めてしまった。だからいろんなことを知らなくて、ある時それに出会うこととなる。純粋な驚きがあるのだが、うわーーー!!知らんかった!!というあほ丸出しの感じになってしまいしばし自分の無知さに絶望する。笑 まぁ、事実は一つなので知識と経験のどちらを先に経験してもたどり着くものは同じだから、勉強すればいいだけの話だと思いたい。

でも感動の種類がいつもただただ純粋にいちいち「驚く」だけなので恥ずかしい限りだ。いつか「おお、これがあの」とか確認の驚きというか作業をしてみたいものだ。はは。

教会のわきには修道院跡があったが、この教会はまだ修復途中で廃墟のようだった。その感じも個人的にはすごく面白みを感じながら見た。

人がいなかったからか、教会の番をしていたおじさんがいろいろ小さな部屋を開けてくれたりした。修復途中や終わった後の装飾品や絵なども見ることができてめちゃくちゃ貴重な体験だった。

なかでもぜぇぜぇはぁはぁなったのは、”postrimerias”(最終段階)をテーマにした2枚の絵。(撮影禁止だったので写真はなし)両方死んだときの絵だった。

1枚は司祭なのか宗教関連の偉い人の死で、ガイコツ化した体の周りにガイコツがやってきていた。司祭の手には聖書なのか何かの本、とても穏やかな印象の絵だった。

もう1枚は王様か、お金持ちの人の死の様子で、高そうなマントのような服を着ていてその中にガイコツ化した体がうずくまっていたけど、その体からはウジがわいているというものだった。ベッドの周りには王冠や高価な装飾品がたくさん飾られてあった。

死はだれにでも平等に訪れるし、現在生きているときに持っている物質は何一つ持っていけないんだなというのを改めて見て、死ぬって何やろう、そして生きるって何やろう、と考えた。考えても答えは出ないので、部屋を出てまた目に飛び込んでくる素晴らしい仕事の装飾品を見て感心したり、ちゃんとインクで印刷された古い本が破れていてもインクはしっかりと紙に印刷されているのをみて、「ちゃんとインク刷られた印刷物は自分が死んでもきれいに残るんや」と常々言っている活版印刷のキンタス師匠のことを思い出したりしていた。

というわけで、大満足のコイストラワカだった。思いのほか長くなったので、続きはその②に続く。

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