メトロ vs トイレ

CDMXにいる間は毎日ブログを更新する、と鼻息荒く宣言したのにさっそく更新できていない。というのも、ただの言い訳になってしまうけどイラストレーターとフォトショップが難しすぎるんである。

シルクスクリーンをするにあたって、私は今まで1色刷り(あるいは実験的な2色刷り)ばかりをしてきた。しかし、このワークショップでは紙への多色刷りを学んでいる。そこで必要になるのが、「色を分ける」という作業なのだが、手で分ける方法を教えてもらって、それからパソコンを使って分ける方法というのも学んでいる。が、このパソコンを使って分けるのが非常に難しい。色の重なりと印刷のずれをカバーするためにトラッピングという処理をしないといけないのだが、説明を聞いて原理と必要性は理解できるのだが、実際にイラストレーターを使って作業するのが本当に謎なんである。今までイラストレーターなんてほとんどトレースをするくらいにしか使ったことがなかったけど、これは本格的に勉強しないといけないな、と感じている。

さて、そんなワークショップのことも追々書いていきたいけれど、今日はメヒコのお金の価値について書きたい。

メヒコにはメトロ、メトロブス、バス、ぺセロなど様々な公共交通手段がある。さすが大きな町、ありがたい。交通渋滞がひどいので、メトロやメトロブス(バスだけれど専用レーンがあるので、渋滞に巻き込まれずにわりにすいすいいけるというバスと鉄道の相の子のような存在)を使ったほうが市内を早く移動できる。

メトロに関しては、2019年現在一律5ペソ(30円くらい)である。つまり、入場料さえ払えばあとはどこまででも行けるという日本人からしたら夢のような金額設定の乗り物だ。時刻表も特にある感じではなく、とにかくホームにいたら次々とやってきて人々を運んでいく。

この間、道を歩いていてトイレに行きたくなった。よくあることである。日本だと、駅やコンビニ、あるいはデパートなど近くのどこかに入ればトイレにありつける。大体きれいで、大前提は無料ということである。

この点で、日本人はトイレ事情に本当に恵まれていると思う。外出先でトイレの心配をそんなにしなくていいからだ。まず、どこにでもあるという点。そして、それらは無料だという点である。

日本以外の国では、意外とトイレは無料ではない場合が多い。トイレなんて生理現象だから行くのは当たり前だし、できればきれいな環境でしたいし、それが当たり前のように実現されている国で育った者にしてみれば、まず、トイレにお金を払うというのに若干の引っ掛かりがある。しかもお金を払っているのに、ティッシュペーパーは個室に備え付けられておらず、トイレの番台さんみたいなおっちゃんに一定量にちぎられた紙を渡されてそれを使うんである。便器だってふたが付いていないところなんてざらにあるし、なんでこんな設備に金を払わなならんのだ、とお金を払うときに漠然とした敗北感を感じてしまう自分がいる。

その利用料金は場所によってまちまちなのだが、都会に行くほど値段が高いという印象を受ける。この間CDMXで入ったトイレは6ペソだった。

メトロでどこまで乗っても5ペソで、一瞬のトイレが6ペソ……。

なんなんだ、この腑に落ちない気持ち。遠くまで運んでくれて時間をセーブしてくれるメトロのほうが、生理現象で人間の生活に必要なトイレという施設よりも安い。どちらかというと、トイレのほうがなくてはならないもので、できればアクセスをよくしてハードルを下げてもらいたい気がするけど、この価値観は私が日本から来た人間だから持つものなのだろうか。

でもまぁそんなことを思ったところでお金を払ってトイレを利用しないと、ただのおもらし野郎になってしまうし、それは何としても避けなければならないから、管理をしてくれているという点でお金を取られるのは仕方ないのだと思うようにしているけど、メトロの金額を超えてきて再び疑問に感じてしまったのだ。

それと同時に、日本のトイレ事情は本当にすごいと拝みたいほどに改めてありがたく感じている。メヒコの人たちはこの金額の設定についてどう感じているんだろうか。比較対象がなかったら、意外とそういうものとして素直に受け取っているのかもしれない。そういう風に、何か比べるもの、比べる場所があるのは私がまぎれもなく外国人だということを示している。

先日、イチロー選手が引退するにあたって引退会見を行っていた。オリックスブルーウェーブ時代に、グリーンスタジアム神戸に応援に行っていた思い出があるから、あのイチロー選手が引退!!!というのは、私は全然知らなかったので突然飛び込んできた衝撃的なニュースだった。引退会見全編を一部ながらになってしまったが見たが、最後の質問と回答が非常に印象的だった。

「アメリカでは僕は外国人ですから、このことは、外国人になったことで人の心をおもんぱかったり人の痛みを想像したり、今までなかった自分があらわれたんですよね。この体験というのは、本を読んだり情報をとることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので、孤独を感じて苦しんだことも多々ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気な時にそれに立ち向かっていく、そのことはすごく人として重要なことなんではないかという風に感じています。」


イチロー選手引退会見 2019年3月21日より

トイレの話と関係ないと思われるかもしれないけど、外国に住んでいる者としてこのイチロー選手の言葉はめちゃくちゃ心に刺さった。特に「エネルギーのある元気な時にそれに立ち向かっていく」という部分は、「実際に住んで見てみたい、感じてみたいから」という思いで外国にやってきた自分のわけのわからないパワーや好奇心が間違ってはいなかったんだと思ったら、そのエネルギーを大いに使おうと素直に思えた。自分が見た風景や光景、感じた印象はもしかすると一般的ではないかもしれないけど、それが面白いと感じる心は私の本当の気持ちだ。

わからないことはあほほどあって、質問したり勉強したりして、一つの疑問が解消されても、またその次の瞬間にはもう違う疑問が5個とか10個とか増えていく。どこまで行っても多分終わりはないことだと思う。それがわかったうえで、興味とパワーが続く限りは進んでいきたいと思っている。今のシルクスクリーンの先生も、シルクスクリーンに対して同じようなことを言っていた。

シルクスクリーンは果てがないくらいに奥が深くて、追及することがたくさんある技術だと。でも、その先を見てみたいから進んでいて、自分はそのレベルで追及しているけど、自分が現在持っている技術を他の人たちにも共有するべきだと感じてワークショップなどを開催していると話していた。

オアハカの版画家の友だちも、「本当は絵を描くのも好きで、もっと若い時は絵描きになろうと思っていた。版画っていうのは本当にセロソ(嫉妬深い)技術で、なかなか思う通りにさせてくれない。だから追及してみたいと思わせると思う。一つの技術をものにしてきたかな、と思っていてもマテリアルが変わるだけでまた果てしない道が広がる感じがする」と言っていた。

2人はあくまでもプロフェッショナルな視点での追及だから、私の興味の追求と同様に考えては失礼かもしれないが、終わりがないかもしれないことに向かっていくという考えを持った時に真っ先に彼らの言葉が頭に浮かんだ。

5ペソと6ペソ、日本円に直したら30円と36円の違いの話でなんていうことのない金額の話だろう。でも、私にとってはとても興味深い値段設定である。

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